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Wikipediaの記事を書くのに必要なのは暇

Sep 24, 2025
雑文 wikipedia
24 Minutes
4671 Words

無職をやって日がな一日家にいると暇になって仕方がないし、しょうもないことばかりが目に付く。
たとえばそう、Wikipediaの記述に怪しい点があるとか。

最近よく見ているとあるカテゴリに属する記事の一つについて、怪しいと思われる記述があったのでたまには奉仕の精神を発揮することにした。 この記事は本来一つにまとまるべきでない内容が一つの記事にまとまっていたので、既存記事の修正と新規記事の作成の二つを必要とした。

既存記事の修正は簡単といえば簡単で、新規記事のために必要な情報を取り除いて、当該情報が新規記事に書かれていることを示すリンクを含む文に置き換えるだけである。 しかし、これを行うということは、新規記事の作成も同時に行っていないとならない。

そう、新規記事の作成である。これが問題だ。

Wikipediaに新規に記事が作成されるためには「特筆性」を満たす必要があるというのはインターネットに入り浸っている人間であれば一度は耳にしたことがあるのではないか。 今は「特筆性」という単語は利用されていないようだが、同様のことが書かれているドキュメントがあるので、まずはそのドキュメントに目を通すところから始めることとした。

Wikipedia:独立記事作成の目安 - Wikipediaという記事に独立記事の作成に値する基準がまとまっており、そしてその目安に関連する内容がリンクされた複数の記事に書かれている。

とりあえずの基準として、「対象と無関係な」「信頼できる情報源」から「有意な言及」があるかどうかという点をみなしていなければ新しい記事を作るのに適当だとはみなされない。 最も、現実にWikipedia上に存在している記事を見るとこの基準を満たしているか?と首を傾げたくなるものもあり、そういう記事には記事の問題点を示すスタブがつけられていることがしばしある。

さて、上で書かれている基準は一見もっともらしいし、基準に沿って記事を作るのは簡単、と言いたいがそうもいかない。

今回手掛けたのはここ10年ほどで勃興してきたとあるジャンルにまつわる組織についての記事だったことが、私の頭を悩ませた。 このジャンルについては物理媒体での刊行物よりも圧倒的にオンライン資料のほうが多かったがゆえに、オンライン資料を元に記事を作成していったが「対象と無関係な」「信頼できる情報源」という項目を満たすことの難しさにすぐに直面した。

たとえば、ある組織が行ったプレスリリースを出典として利用し、この存在によって独立した記事として作成する目安を満たしていると主張できるか?について考えてみると、上記の基準に照らせばそうとは言えないことがわかる。 なぜなら組織自身が行ったプレスリリースは「対象と無関係な」情報ではないことが明らかだからである。というわけで「対象と無関係な」情報源を探さないといけない。

わかった。では対象と無関係な情報源を探そうということで情報源を探し出したとして、次の問題は「信頼できる」に該当するのかということである。 信頼できる情報源とみなされるものについては、Wikipedia:検証可能性 - Wikipediaに記載がある。

通常は信頼できないとされる情報源について見てみると、次のような情報源が挙げられている。

  • 信頼性に乏しい情報源
  • 自主公表された情報源
  • Wikipedia自身
  • ユーザー投稿によって構築されるサイト

「信頼性に乏しい情報源」とは、たとえば事実確認の難しい情報源(「テレビで見た」「ラジオで聞いた」)や、タブロイド新聞といった娯楽中心の新聞が挙げられている。
「自主公表された情報源」としては、たとえば個人ウェブサイトや自費出版の刊行物、ブログや掲示板の発言などが上げられている。例外としてその人物が、信頼できる第三者によって出版された刊行物の著者などを務めていた場合にのみ、ある分野に限定して情報源として認めても良いだろうと書いている。
「ユーザー投稿によって構築されるサイト」としては、ニコニコ大百科やPixiv百科事典といったユーザー参加型の百科事典的サイトであったり、Yahoo!知恵袋やQuoraなどのQ&Aサイト、ナレッジコミュティを利用することができないと書かれている。

つまりこれらの情報源のみに依存するようであれば、Wikipediaの基準に照らせば独立記事とは認められないというわけである。 となれば手っ取り早い方法としては書籍や雑誌といった刊行物を見つけ出してしまえば良い、という話になるが、当該ジャンルがオンラインを中心に盛り上がりを維持し、そのまま大きくなってきたという過程を背景に持つためか、刊行物として出版されているようなものというのがなかなかでてこない。

またここ10年来、オンラインを中心にして盛り上がりを見せるジャンルに関しては、多かれ少なかれインフルエンサー的な人が関わっている。 そうなると何らかの発表がインフルエンサーの持つ個人ウェブサイトなどに記載されているなどという例が見つけられるが、これは上で言うところの「自主公表された情報源」といえるケースがほとんどである。

こうなるとWikipediaの基準を満たす「信頼できる情報源」を見つけ出すことが至難の業となってくる。

ではジャンル別に存在する企業運営のニュースサイトなどを利用すればよいのでは?という選択肢が浮かび上がってくるが、これにも罠がある。というのもせっかく見つけた企業運営のニュースサイトに掲載されている情報が、組織プレスリリースの転載そのままである場合が存在するからである。
ある組織が発表を行うときにプレスリリースを作成し、それを各種メディアに配信することでメディアに掲載してもらい、プレスリリースのリーチできる範囲を広げるというのはよく見られる宣伝手法ではあるが、これをそのまま参照しても「信頼できる情報源」になりえないからである。なぜならこれは一次資料にしか過ぎないためである。

独立記事として作成、収録するだけの価値があることを示すには「情報源」が二次資料である必要があるということが『独立記事作成の目安』には書かれている。 では二次資料とは何かと言うと、次のように説明されている。

二次資料は、一次資料に基づいてそれを作成した人物によるその人自身の考察を提供するものであり、普通は事象から一歩離れたところにあるものです。二次資料には、一次資料から得た作成者の解釈・分析・評価・論拠・構想・意見などが記されています。二次資料は必ずしも、独立した情報源あるいは第三者による資料ではありません。作成者は作成にあたって一次資料を使い、それらについての分析・評価を行っています。

ここで企業運営のニュースサイトを利用する点の問題が再び現れる。これらの媒体が扱うのは基本的に「ニュース」、つまり直接イベントや情報源に接したその情報をまとめたものということは明らかといえる。 ということはこれらは二次資料でなく、一次資料であることが導かれる。すると困ったことに、これらを利用するのみでは独立記事作成には至れないとの結論が得られる。振り出しに戻る。

そうなると次の問題が浮上する。つまり、オンラインを中心に発生した文化や現象といったもので、その影響が書籍や雑誌といった媒体に乗らない場合に、「対象と無関係な信頼できる情報源」となる情報源が存在するのだろうか?

この問いに対する解決策の一つとしては、解釈を含む主張や分析、判断を行わないので一次資料のみに基づいて記事を執筆する。この時『独立記事作成の目安』はひとまず脇に置く。という考えである。 もう一つは、気の済むまで資料に当たり、最大限『独立記事作成の目安』を尊重した態度で記事作成を行うという考えである。しかしこの後者の考えを実際に取ることができるだろうか?

無職であるならばいざ知らず、多くの場合は日々の糧を得るために賃労働に従事しており、その余暇を利用して記事執筆を行うわけだから当然活用できる時間は限られる。 そのような人に対して要求するには作業負荷が大きすぎる。という問題は避けて通れない。

どちらのアプローチを取るかは結局のところ執筆者の善意と常識に依存していると言わざるを得ない。
そして、Wikipediaに存在する記事をいくつか眺めてみれば、特筆性を満たしていないことを示すスタブや出典が不足していることを示すスタブが表示される記事をいくつも見つけられる。 このことから考えると、特筆性を満たしているかどうかが問われるのは、Wikipediaの提唱する基準について気持ちを持っている有志の目に留まるかどうかに依存しているようである。 基準が示されながらしかし現実に十分適用されない基準に意味があるのか?という疑念が生じかねないところはあるが、基準が全く示されていないことに比べれば意味があるということはわかるので、深くは追わないこととする。

さて、なんとかこの独立記事作成の基準を満たすに足る資料を手に入れることができたぞ、となったところでようやく記事執筆に取り掛かることになる。 こうなってくると、今度は文章の作成に対する慣れの問題が生じる。 WikipediaにはWYSIWYG、いわゆる見たままで編集できるモードも存在しているが、基本的にはMediaWikiの書式を利用して記事を作成する。

MediaWikiの書式というのは次のような記法である。

1
= これがセクション =
2
3
== サブセクション ==
4
5
'''これが太字'''
6
7
[[内部リンク]]
8
9
[https://sample.example 外部リンク]
10
11
参考文献記法 {Cite web|url=https://journal.example.com/2024/02/28/lorem_ipsum|title=Lorem Ipsum|date=2024-02-28}

多くの場合に、この記法を利用する最初の機会がWikipediaの記事執筆であることは疑いようがない。 これをWikipediaのサイト内で提供されるエディタに対して書き込むというのが一般的な作業になるわけだが、そうするとWikipediaのエディタの極めて使い勝手の悪いことに気付かされる。 プレビュー領域は狭く、その再読み込みは遅い。あるいはプレビュー生成のたびに画面遷移が発生するなど、ユーザーフレンドリーとは言い難い。

これを解消するにはあらかじめWikipedia上ではなく別のテキストエディタで記事の作成、編集を行っておき、Wikipediaの編集画面はあくまでもMediaWikiの書式について確認するためのみに使うことになる。

そして何よりの問題だが、そもそもこの手の記事作成に不慣れな場合、一つの記事を作成するのにも極めて多くの時間がかかる。
実際自分が作成した記事は10000バイト足らずであったにも関わらず、作成に2時間以上の時間を要した。 体裁を整え、表現を統一し、違和感のない系列に並べ、という作業は単にTwitterに短文を投稿し続けるのとは違う作業であり、それだけに不慣れな人間が行うと当初想定以上の時間を要することになる。 文章を書くというのが一つの技能であるということをまざまざと感じさせられるとはこのことで、単に事実を並べるというだけであっても注意深く行わなければならない。

一次資料や二次資料の内容をそのまま引き写して書くことで、記事のボリュームを確保しながら執筆の労力を減らすことができて一石二鳥だと見ることができるだろうが、複数の著作物からの引き写しを接続詞を用いて結合したような文章が引用に要件を満たすとは考えづらい。 日本語版Wikiepdiaの編集ガイドラインにはWikipedia:原典のコピーはしないと書かれており、引用の範囲に収まらないような引き写しに関してはたとえ出典の著作権がすでに消滅している場合であっても戒められている。

こうした基準を満たすように諸々を考えながら記事を書こうとすれば、必然的に時間を掛けなければならない。 というわけで、Wikipediaの新規記事を一本作成して考えたことは「これはよほど暇な人間でなければできないだろう」ということだった。 最低限の体裁を取り繕うというだけでも一定程度時間がかかることは避けられない。 そして、記事として取り上げるべき内容があればあるだけ、記事の執筆に必要な時間が増すことも明白である。 よほどのことがなければ、これを継続的に行うことのできる人間はよっぽど暇でなければならないということになる。 かくしてタイトル「Wikipediaの記事を書くのに必要なのは暇」に至る。

最後に、今回Wikipediaに記事を作成しようと思った経緯を軽くメモしておく。 なぜこのようにWikipediaの記事を作成したのかといえば、これが信頼の置けるデータベースと広くみなされているがゆえに、誤った記述が掲載されている場合にそれがそのまま人々に信頼されてしまう点を憂いたからである。 特にGoogle検索を行った際に検索カードに誤った記述が表示されたり、Weblioを介して表示されることで、さも確からしい情報として受け取られてしまうという現象が生じる。 個人的にはこのような現象は望ましくないと考えていることもあり、記事作成を行うに至った。 そうして、上に書いたような感想を持つに至ったわけである。 そもそもWikipediaに書かれていることが十分に信頼があり、かつ正確であるため無条件に表示をするというような挙動をするGoogle検索が悪い、と言いたいが、この文句を言ったところでGoogle検索の挙動が変えられるわけではなく適応的に動くのであればWikipediaを編集するよりほかないということになる。 Google検索にカードを出すことを決めた人間をとっちめたい。

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